俳句の神様・松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった! 〜 愛する弟子とのボーイズラブ旅【後編】 (6/7ページ)

Japaaan

杜国が死後1年後のことですが、愛しい杜国が夢の中に出て、悲しみで涙を流して目が覚めたというような意味合いです。

さらに、

我夢は聖人君子の夢にあらず。終日妄想散乱の気、夜陰夢又しかり。誠に此ものを夢見ること所謂念夢也。

我に志深く伊陽旧里迄したひ来りて、夜は床を同じう起臥、行脚の労をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。

ある時ははたはぶれ、ある時は悲しび、其志我心裏に染て、忘るゝ事なければなるべし。覚(さめ)て又袂(たもと)をしぼる。

と続きます。つまり、自分の夢は聖人君子の夢のようではなく、昼間は1日中妄想に囚われて心乱れている、夜の陰夢もそうだ。愛しい杜国は私を慕って伊賀の故郷まで来て、夜は床を同じくして寝起きし……

というような意味合いです。そして杜国恋しの想いのあまり、「目が覚めてまた涙に濡れた袂をしぼった」とあります。

『嵯峨日記』を書いた落柿舎(wiki)

この熱い心情は、師匠と弟子以上の情愛の深さがあったのだろうと感じられるのです。

俳句を詠むことに生涯を捧げた、ストイックで孤高の俳聖・松尾芭蕉。と聞くと、近寄りがたい人のような感じですが、内面は、美しき弟子を深く愛した情の深い人だったのかもしれません。

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