自身の宝は家臣たち!天下人・徳川家康を支えた重臣「徳川四天王」を一挙ご紹介 (1/6ページ)
慶長8年(1603)に征夷大将軍となって江戸幕府を開き、太平の世を築いた天下人・徳川家康。
彼は、人質時代から多くの家臣に支えられていました。中でも、酒井忠次・榊原康政・本多忠勝・井伊直政の4人は『徳川四天王』と呼ばれ、重宝されました。
ただ、彼らがどのような活躍で家康に貢献したか、あまり詳しく知らない方もいるのではないでしょうか。
そこで今回は、徳川四天王の活躍をまとめてご紹介します。
徳川家のバランサー・酒井忠次
酒井忠次/Wikipediaより
1人目は徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣・酒井忠次です。
忠次は家康の人質時代から支えました。この時の忠次の年齢は23歳。当時6歳だった家康とは17歳も差がありました。
そんな忠次は、機転の良さで家康の期待に応えていました。それが活かされたのは、元亀4年(1573)の正月のころ。
武田家から「松枯れて竹たぐひなき明日かな」という内容の句が送られました。意味は、「松平が衰退し、武田が栄える将来だ」というもの。
この内容に家康や家臣は怒りを見せますが、忠次はこの句の濁点を変えて、「松枯れで竹だくびなき明日かな」(松平は衰退せず、武田の首がなくなる将来だ)と詠みます。