徳川家は明治維新後どうなった?将軍・徳川慶喜に代わり、わずか4歳で徳川家を継いだ「徳川家達」とは (2/3ページ)
幼少期の家達
徳川宗家の後継に関して、慶喜は紀州藩主・徳川茂承を推したのですが、静寛院宮(和宮)らが亀之助を強く推したため、彼で決定しました。同年5月には駿河府中(駿府)藩70万石を下賜され、1869(明治2)年の版籍奉還によって静岡藩知事に任命されました。
将軍職を失った徳川宗家は静岡藩の藩主として、存続していきました。
1871(明治4)年7月、廃藩置県が断行され、華族の身分を保証された家達は東京へ移住。6年後にはイギリスへ留学し、1882(明治15)年に帰国した後は公爵の身分を授けられ、1890(明治23)年10月には貴族院議員となっています。
家達はその後、1903(明治36)年から1933(昭和8)年まで、30年間貴族院議長を務め、1914(大正3)年には首相への就任要請もありました。
ちょうどこのときにシーメンス事件(艦船購入をめぐる日本海軍の汚職事件)によって山本権兵衛内閣が倒れた時期で、徳川宗家の後継者ではあるが、政治色が薄いという理由から家達が選ばれたわけです。