天皇が女官を裸にして相撲をさせたのが始まり!?古来からある「女相撲」の歴史【後編】 (5/6ページ)
彼女は、地元にやってきた「石山女相撲」の興行をみて相撲取りになることを決意、17歳のときに角界入りしました。
あっという間に才能開花した若緑はわずか3年で大関に昇進し、トップスターの座につきました。ブロマイドも売れ日本全国のみならず台湾や満州まで巡業に行ったそうです。
「強いし、器量よし、太鼓に踊り、唄も大関若緑」
ファンの間ではこんな合言葉が流行るっほど人気の力士だったのですが、太平洋戦争が始まり興行は解散、若緑関も24歳で現役を引退することになりました。
そして、昭和32年(1957年)愛媛県松山市での大相撲高砂部屋の巡業でのこと。4代高砂(第39代横綱・前田山)の強い要望により、若緑は、女人禁制とされていた土俵にあがり挨拶をすることになります。
若緑は「恐れおおいこと」と固辞したそうですが、4代高砂「そんな考えは時代遅れだ。日本の封建的な時代は戦争で終わったんだ」といい「責任は自分がとる」といったそうです。
そして、着物姿で土俵に上がった若緑。
観衆からはどよめきの声が上がったものの、「いよ!若緑、日本一!」という掛け声がかかったそうです。