【光る君へ】藤原彰子が念願の男児出産!皇子・敦成親王(後一条天皇)はどんな生涯をたどったのか? (2/4ページ)
一条天皇の皇子としては四番目の次男、彰子の皇子としては最初の長男でした。同母弟には敦良親王(あつなが。後朱雀天皇)がいます。
寛弘8年(1011年)に一条天皇が危篤のため居貞親王(いやさだ。三条天皇)に譲位。間もなく崩御されました。
三条天皇の東宮(皇太子)となった敦成親王は、祖父・藤原道長の期待を一身に背負って成長します。
一刻も早く孫を皇位に就けるべく、道長は何かにつけて三条天皇に圧をかけ続けたのでした。
その甲斐?あって、長和5年(1016年)1月29日、三条天皇が「我が子を東宮とすること」を条件に敦成親王へ譲位。敦成親王は8歳で皇位を継承したのです。
当然幼帝に政治が分かるはずもなく、道長が摂政(せっしょう。未成年の天皇陛下を補佐する)に就任。皇室の外戚として権勢を欲しいままにしたのでした。
今までも高位にはあったものの、一条天皇しかり三条天皇しかり、なかなか意のままとはいかなかったのです。
それが幼帝であれば思いのまま、道長に楯突くことはできません。よって、ここからが道長政治の本番と言えるでしょう。
道長四女・叔母の藤原威子が入内
ちなみに三条天皇が出した譲位の条件によって一度は後一条天皇の東宮となった敦明親王(あつあきら。三条天皇皇子)ですが、のち寛仁元年(1017年)に三条天皇が崩御すると、道長は約束を反故にします。