公卿のボイコット、道長に祟り、怪文書…どこまでが忠実?【光る君へ】史実を基に11月3日放送を振り返り (3/7ページ)
しかし藤原娍子たちの父・藤原済時(なりとき)は長徳元年(995年)の疫病大流行で亡くなっており、後ろ盾がありません。
一方で藤原妍子は後ろ盾こそ十分ながら皇女しか生まれず、両派の争いは微妙なところでした。
【皇后・皇后娍子】皇子はいる/寵愛されている/後ろ盾がない
【中宮・藤原妍子】皇子いない/寵愛は微妙/後ろ盾は協力
劇中では男狂いのように描かれていた妍子ですが、派手好きはともかく男狂いだったという記録は見当たらず、やりすぎではないでしょうか。
妍子のキャラクター設定が今後の展開に影響を及ぼすのか、今後も注目です。
三条天皇に入内した藤原道長の次女・藤原妍子とはどんな女性だったのか?【光る君へ】 道長に相次ぐ祟り?
比叡山に馬で登ったことで反感を買い、石を投げつけられた道長。それからと言うもの、ギャグのようにトラブル続きでした。
