蜘蛛と髑髏の着物に身を包み…明治時代に実在した異様すぎる遊女“幻太夫”の生涯【後編】 (3/4ページ)

Japaaan

小林清親の錦絵が良く売れたお礼として、版元の大黒屋・松平平吉に祝の席を設けてもらいました。両国の料亭で御馳走になった後、根津の遊郭に繰り出すことになるのです。

以下に小林清親の談を引用します。

「或る部屋へ連れ込まれ、成る程驚いた、それがまぼろしの部屋でありました。・・・・・部屋には仏壇あり、仏像あり、襖の張付けは例の蓮の花で其身は
切下げ髪に輪袈裟というふ巫山戯(ふざけ)た行粧で勤めをして居たのです。

此部屋で再び大いに飲み上げたが、大平が頻りに画家扱ひにするので、ついに裲襠を
描いてやる約束が成り立ち、後日白無垢へ墨絵で描いたのは羅漢の像で世間で骸骨を描いた様にいふのは誤伝であります」  (『浮世絵師』第16号)。

小林清親は幻太夫の肖像も描いたという話も残っています。

また幻太夫は、松葉楼を訪れたある財閥の大物を、これは上客だと目をつけ自分の客にしようとあれこれ画策したという噂もあります。

挙句の果てにはなんと小指を切って送りつけたというのです。遊女が自分の小指を切って相手に送るというのは“あなただけは私が本当に愛している人です”ということを伝える方法だったのです。

それでもその小指は受け取ってもらえなかったとか。しかし果たしてその小指も本物だったのかは分かりません。

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