最終回まで残り3話…道長を捨ててはばたくまひろ。「光る君へ」史実を基に11月24日放送を振り返り (3/6ページ)

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ただし藤式部の没年については諸説あり、その根拠となる記録が各所に使われるかも知れません。

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今後まひろは大宰府どころか、海を渡って半島や大陸にまで行くのでしょうか。

藤原賢子の出仕

大弐三位(藤原賢子)。歌川豊国筆

はばたいてゆく母と交代するように代理へ出仕した越後弁(えちごのべん)こと藤原賢子。

実際に彼女が出仕したのは長和6年(1017年。寛仁元年)ごろと言われ、大河ドラマでは少し遅くなっていました。

ちなみに越後弁という女房名は、祖父の為時(越後守)と亡き父・宣孝(権右中弁)を組み合わせたものと考えられます。

かくして宮廷デビューを果たした越後弁は藤原頼宗(道長次男)、藤原定頼(公任嫡男)、源朝任(あさとう。倫子の甥)らと華やかな交際を繰り広げました。

後に藤原兼隆(道兼次男)や高階成章(なりあきら)と結婚して大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれ、やがて親仁親王(後朱雀天皇の皇子で春宮。のち後冷泉天皇)の乳母を勤めます。

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