大河ドラマ『べらぼう』親なし・金なし・風流なしが江戸のメディア王に!蔦屋重三郎の生涯を完全予習【後編】 (6/9ページ)
さらに、絵師としては勝川春草(かつかわしゅんそう)・鍬形蕙斎(くわがたけいさい)・葛飾北斎などの作品を次々に刊行しさらに、喜多川歌麿を見出し自宅に居候させるほど腕を買いバックアップするなど、まさに江戸の一流プロデューサー版元として、数々の業績を残しています。
トレンドをいち早く察知する感の鋭さ、将来性を見極める眼力など才能に恵まれた蔦重は、「これはいける」と見込んだ人物には躊躇なく力を注ぐという、気前もよく気風(きっぷ)もいい人物だったそうです。
超売れっ子になるも財産半減の処罰まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの一流プロデューサーとなった蔦屋重三郎。
ところが、天明2年(1782年)から続く飢饉によって世の情勢は不安定な状況になり、その勢いに陰が指します。
そんな状況下で、経済優先の政策を推し進めた田沼意次が失脚。老中となった松平定信が、天明7年(1787年)に寛政の改革を断行しました。