大河ドラマ『べらぼう』親なし・金なし・風流なしが江戸のメディア王に!蔦屋重三郎の生涯を完全予習【後編】 (3/9ページ)

Japaaan

絵草子「百人女郎品定」wiki

黄表紙の第一弾は、1775年に誕生した、恋川春町(こいかわはるまち)という戯曲家が書いた『金々先生栄華夢』(きんきんせんせいえいがのゆめ)。

田舎から江戸に出てきた貧乏な青年が栄華と没落を体験するという、「一炊の夢」で知られる『枕中記』(唐の伝奇小説)のパロディーで、たくさんの挿絵が描かれている楽しげな内容は空前の大ヒットを記録しました。

その後も、浮世絵師・戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)や戯作者の朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)などの黄表紙の創作に参入、「知的でナンセンスな笑い」を好む江戸っ子たちの間で大ブームとなったのでした。

この「黄表紙」という形式を発明したのは、前編で触れた版元・鱗形屋といわれていますが、この企画や流通には蔦重が大きく関わっていたそうです。

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