弥生時代の遺跡で出土する「銅鐸」は何に使われてたの?住居跡からは出土しない理由とは? (1/3ページ)
朝鮮・中国との交易の痕跡
今回は、弥生時代に製造されていた銅鐸(どうたく)について、その用途などを探っていきましょう。
弥生時代には、青銅や鉄といった金属を用いる技術が現れました。世界的には、青銅の時代から鉄の時代へと移行していきましたが、日本では青銅と鉄の利用がほぼ同時期からスタートしています。
これは、中国で青銅が鉄へ移り変わる頃、日本へ文明的な影響がおよぶようになったからです。
弥生時代の青銅器としては、銅剣、銅矛、銅戈などの武器型青銅器と銅鐸が挙げられます。
これらの原料の仕入先は、時代とともに朝鮮から中国へと変化したことがわかっています。
青銅に含まれる鉛には四種の同位体が混ざっており、それらの同位体の混合比率を調べるとその鉛がどの年代にどこで産出されたかが分かります。
その分析によると、古い銅鐸ほど、朝鮮製の銅鐸に含まれている鉛と一致することから、銅鐸が作られはじめた頃、その原料が朝鮮から持ち込まれたと思われます。
ところが、弥生時代中期頃以降の銅鐸の鉛は、中国北部で鋳造された前漢時代(紀元前一~二世紀)の青銅器に含まれる鉛と同じであることがわかりました。
つまり、弥生時代中期以降は漢時代の青銅器を鋳潰したか、同時期の青銅器のスクラップを用いて作るようになったのです。
こうした事実から、日本は弥生初期には朝鮮半島と交流があったものの、その後は中国本土との交流が活発になったと思われます。
「家庭用」ではなかった?また銅鐸には、住居の跡からは出土しないという特徴もあります。