なぜ「白い餅を焼く」のは縁起が悪いのか?戦国武将たちはどんなお正月を過ごしてた?【後編】 (5/6ページ)
現代と同様、当時から地域によっていろいろな違いがあり、たとえば戦国時代の激戦地であった愛知では、「白い餅を焼く」ことが「城が焼ける」ことにつながって縁起が悪いとされたため、餅は焼かずにかつおだしで煮て柔らかくしてから雑煮にしたそうです。
醤油のすまし汁に焼かない角餅・餅菜・を入れ鰹節をのせる、愛知県の雑煮 photo-ac
さらに、戦国武将きってのグルメと名高い伊達政宗は、干し鮑、なまこ、にしん、豆腐、黒豆、青菜などの食材を使い、陰陽五行に基づき白・黄・黒・緑・赤を使った配色や目の華やかさにもこだわった雑煮を食べていたといわれています。
また、徳川幕府では、元旦に年賀に訪れる家臣たちに「うさぎの吸い物」を振る舞う習慣があったとか。
家康の先祖、世良田有親・親氏父子が戦に敗れ諸国放浪し、信州林郷に蟄居する旧知の小笠原光政を訪ねた際、ご馳走するものがない光政が12月末に、雪中でうさぎを射止め吸物に仕立て年賀の膳として振る舞ったそう。
