大河『べらぼう』花魁・花の井は実在の人物!吉原屈指の名妓「五代目 瀬川」の数奇な人生【前編】 (3/6ページ)
江戸時代、遊女の最期は寺に投げ込まれていた?苦界に身を落とした遊女たちが眠る浄閑寺とは
庶民たちからは「廓務めは苦界10年」と囁かれるほど仕事も生活もきつい職場だったのです。
幕府が公認している遊女の数は、その年によって変化しますが、平均2,500人ほどいたそうです。
遊女も勤め先の妓楼も階級格差が
時代によって異なりますが、遊女には階級がありました。
江戸の初期は、容色や芸事に優れた「太夫」、張見世(※)で客待ちする「格子」、下級遊女の「端女郎」などに分かれていました。
※張見世:妓楼の一階、店先の往来に面した格子窓のある部屋に並んで、自分の姿を見せて客を待つ
元和三年(1617)に日本橋葺屋町の東隣に、江戸市中に点在していた遊女屋を集めた幕府公認の「吉原遊廓」が誕生。
