大河『べらぼう』着実に成長する蔦重、俄かに起こる神隠し…3月23日放送の解説&堪能レビュー! (5/8ページ)
これ此郷(このさと)の栄(さかん)をま■ミの■奈れば。各(おのおの)その藝を移して燈籠の花の薫りを過さ津”(すごさず)。明月乃余情(よせい)を儲け■。紅葉乃先驅(さきがけ)せんと。或風流乃客人(まれびと)乃仰せを秋の花として。藝者と素人(しろと)と■論世ず(ろんせず)。禿(かぶろ)と娘とを厭ハ津”(いとわず)。我よ人よの譲り奈く。イ(ひと。人偏)と我とを隔(へだて)ぬを■■く。俄の文字(もんじ)調ひ侍(はんべ)り豈(あに)夫(それ)宜(むべ)奈ら津”(ならず)や
安永六年仲秋 朋誠■(しるす)
【ごくざっくり意訳】
鳥が鳴く 江戸郊外の 遊廓で 俄祭りは 明和に起こる(五七五七七)
明和年間(1764~1772年)から始まった俄祭りは、祇園囃子や雀踊りが起源と言われる。
元は素人による狂言や歌舞伎が俄に路上で行われていたものが、明和4年(1767年、亥年)の秋に初めてイベント化された。
その後途絶えてしまったが、安永4年(1775年)ふとしたことから再興された。
去年も引き続き行われ、ますます白熱したのである。
これこそ吉原遊廓の繁栄を象徴するイベントであり、みんなそれぞれ芸を競って大いに盛り上がりを見せている。
月の余情が紅葉の季節を感じさせ、風流を愛でるお客の歓声が華やかに秋を彩る。
俄祭りではプロも素人も、遊女も娘らも違いがない。自分と他人の壁も、他人と自分の隔てもない。
これこそ俄(にわか)の文字が示すところであり、どうして宜(むべ)ならざることがあろうか。
安永6年(1777年)8月 朋誠堂しるす
……とまぁこんな具合。技巧が心地よいと感じるかどうかは読者次第ながら、言葉つづりを楽しんでいるのが分かります。