「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【中編】 (2/8ページ)

Japaaan

舟二百隻に石上山の石を積載し、宮の東の山に、石を積んで石垣とした」と続きます。

香具山(写真:wikipedia)

「渠」とは石材を運搬する船が通るための運河で、この記事によると200隻の舟を曳いて石上山から石材を運ばせたとあり、その石材を用いて、両槻宮の丘陵頂上部に石垣を築いたとします。

石上山の石とは、天理市石上周辺で産出される砂岩で、二上山で採れる凝灰岩と並び、明日香村に残る宮都の石材や古墳の石室などに使用されています。

二上山(写真:wikipedia)

両石とも加工しやすいのが特徴ですが、同じく明日香村の遺跡から出土する花崗岩は硬く加工が難しいという特徴があります。ちなみに、明日香一帯で産出される花崗岩は総称して「飛鳥石」と呼ばれています。

なお、この「渠」は、石材の運搬だけでなく、防御のための濠や灌漑用水など、複数の役割を果たしたとも考えられているのです。

しかし、この工事は非常に難工事であったようで、女帝は民衆から「狂心(たぶれごころ)の渠」と揶揄されました。

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