「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【中編】 (4/8ページ)
両槻宮の場所は、斉明の宮都である後飛鳥岡本宮の北東約200m、有名な酒船石がある丘陵と考えられ、裾野から石垣に用いた花崗岩、山頂付近から砂岩が発掘されています。
そしてこの懸念は、斉明崩御後に現実のものとなりました。百済救援のための遠征である白村江の戦い(663年)で、倭国は唐・新羅連合軍に壊滅的な敗北を喫しましたのです。
唐・新羅の倭国侵攻を恐れた天智大王は、百済の遺臣たちに命じて、各地に大規模な朝鮮式山城を築かせました。斉明が整備した両槻宮は、まさにその先駆けともいえる重要な施設でした。
斉明が斎行する祭祀の場であった「酒船石と亀形石造物」
酒船石は、両槻宮があったと考えられる丘陵の山頂付近に置かれた花崗岩の石造物です。
その大きさは、長さ5.3m、幅2.27m、厚さ1mで、平坦な上面には奇妙な溝が刻まれています。古くから、濁酒を清酒にする設備などさまざまな説が唱えられていました。