【大河べらぼう】新章突入!平賀源内が去った後、史実を基に次なる局面を考察〜田沼意次 全盛と蔦重の成長〜[前編] (4/8ページ)

Japaaan

息子の暗殺・大噴火・大飢饉が重なる…

1784年、世子で若年寄の任にあった意次の嫡男・意知(宮沢氷魚)が江戸城内で暗殺されると、1786年には、浅間山大噴火が引き起こした天明の大飢饉(1783)への対応の失敗や、洪水による印旛沼開拓事業の挫折などが重なり、意次の権勢に暗雲が立ち込めます。

1783年に起きた浅間山の天明大噴火 wiki

さらに、後ろ盾であった将軍・家治(眞島秀和)の死によって意次は失脚。ここに田沼時代は終焉を迎えたのでした。

松平定信が蔦重の後半生の障害に

田沼意次に代わって老中となり、幕府の経営を担ったのが、陸奥白河藩主・松平定信(寺田心)です。定信は、田沼意次を嫌悪していた一方で、意次に賄賂を贈るなどして“幕政への参加を虎視眈々と狙っていた”とされています。

その政治理念は、田沼時代に特徴的だった重商主義を一掃し、従来の重農主義に戻すことにありました。

8代将軍吉宗の孫であり、御三卿田安家出身の松平定信は、一時期、次期将軍候補と目されるほどの高貴な出自を誇りました。

しかし、田沼意次と比較すると、定信はその家格の高さゆえに意次のような柔軟性に欠け、町人など下層階級の生活を深く理解する環境で育っていませんでした。

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