暴力より議論を!幕末、“理解し合える”と信じた男・横井小楠。その「知られざる思想」の内容を解説 (1/3ページ)
改革に携る
黒船来航後の日本の針路にはいくつもの選択肢がありました。
中でも、熊本の儒学者であり福井藩の政治顧問でもあった横井小楠(よこいしょうなん)が唱えた破約必戦論や国際会議構想は、佐幕でも倒幕でもない「共和一致」の可能性を秘めていました。その思想について解説します。
徳川幕府が欧米5か国と通商条約を結んだ1858年(安政5年)、横井小楠は福井藩の松平春嶽に招かれ、富国強兵を柱とする改革に着手します。
さらに1862年(文久2年)には、幕府の政事総裁職となった春嶽の下で、参勤交代の緩和などの幕政改革に携わりました。
開国か攘夷かで国論が二分されたこの年、小楠は幕府に破約必戦を建議しています。条約は幕府が外圧に屈して天皇の勅許を得ずに調印した「不正の所為」である。だからいったん破棄して、外国との戦争も覚悟しよう――というのです。
幕政批判と共和制への評価この「破約必戦論」の趣旨は条約破棄や主戦論ではなく、諸大名が参加する会議を催し、公議・公論によって一致した国論を作ることにありました。