大河「べらぼう」蔦重と誰袖それぞれの“夢” 〜本音と本音が溶け合ったあの名シーンを考察【後編】 (8/8ページ)
告白されたのだから「嬉しい!」と抱きついてもよさそうなのに、「家宝にしんす」とちょっと距離がある喜び方をしたのは、先ほど惚れた意知の前で、「好きでもない男の座敷に出向く遊女」の姿を見せたことに「身請けされても私は遊女だから」という遠慮しているように感じました。
「そなたと添わないのは、間者働きをさせるのが辛くなるから。好いた女に何をさせているのだと、自分を責めるしかなくなる」と思いを吐露する意知。仕事の責務と恋心の板挟みになっていることを打ち明けます。
花魁にとっては、“夢”にまでみた告白だったと思います。けれど、前述のように「自分は遊女だから」という思いがあるのか、いつものイダズラっぽい態度を取り戻し、「ちょいとわっちの袖のもとで死んでみなせんか」と、膝枕に誘います。
そんな誰袖の誘惑に勝てずに、膝枕をしてみる意知。艶然と微笑む彼女の顔を見上げ
思わず「花魁は望月のようだ…」と呟きます。
「願わくば 花の下にて春死なん その如月 の望月の頃」と西行の辞世の句を詠むと、「西行になったご気分はいかがで?」とからかう誰袖。
さすがは、才女でならした吉原一の花魁らしいセリフです。本気で花魁に惚れたことを自覚し「まずい…ひどくまずい…」と焦る意知。派手な演出はなく、ここだけ時が止まったかのような、静かに歌を詠み愛を確認するそれは美しい場面だったと思います。
ところが、このまま本当は真剣に惚れていた相手と心が通じ合った大団円……で終わらないのが辛いところ。このあとに起こる史実を思うと時が止まって欲しいと願ってしまう回でした。この先、どのような脚本で描かれるのかこれからも見届けていきたいですね。
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