大河「べらぼう」蔦重と誰袖それぞれの“夢” 〜本音と本音が溶け合ったあの名シーンを考察【後編】 (7/8ページ)
以前、土山宗次郎(栁俊太郎)が開いた「桜を見る会」で、誰袖が狂歌のお題として提示した言葉でした。そのとき同席していた意次(狂歌名は花雲介)は「あのとき、雲助は何も詠まなかったのを思い出してな」と、あの日の無粋を詫びます。
さらに扇を開くと、そこに書いてあったのは
「西行は花の下にて死なんとか 雲助袖の下にて死にたし」という雲介作の狂歌。
もとは、西行の辞世の句、「願わくば 花の下にて春死なん その如月の 望月の頃」です。
「できることなら生涯愛した花の下で、満月の夜に死にたい」という西行の歌に対して、「雲助(意知)は誰袖の下で死にたい)」と狂歌にして詠んだのでした。
西行「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」(『小倉百人一首』86番、『千載和歌集』恋・936)public domain
現代では考えられないような、粋で優雅で、すごくストレートな愛情の告白。
まったく男女の仲にならない意知に対し、「わっちの身請けは…責だけで?」と悩んでいた誰袖にとって、これほど嬉しい贈り物はないでしょう。涙で潤んだ瞳で「嬉しおす…家宝にしんす」と言います。