すし・鰻・天ぷらは江戸庶民のファストフード 〜江戸時代グルメの誕生秘話と高級化の歴史 (6/7ページ)

Japaaan

鰻が蒲焼といわれるようになったのは、18世紀になり濃口醤油と味醂が生産されたことがきっかけです。鰻を醤油と味醂をあわせたタレで焼くようになったのは享保年間(1716~1736年)の頃からとされています。

鰻の蒲焼

江戸は、人工的な埋め立てで拡大した都市です。海沿いには多くの泥炭湿地があり、鰻が棲みやすい環境でした。そうしたことから、鰻は江戸の名産とされ、隅田川などで獲れた“江戸前鰻”は、その他の土地から運ばれた“旅鰻”に比べ、高い人気を誇ったとされます。

浮世絵に描かれた鰻屋

歌川広重の浮世絵(19世紀中頃)に、夫が割き女房が焼く鰻の屋台が描かれています。この50年後には立派な店構えの鰻屋「大和田」が現れますが、その始まりは鰻もすし同様に、庶民の食べ物であったのです。

「すし・鰻・天ぷらは江戸庶民のファストフード 〜江戸時代グルメの誕生秘話と高級化の歴史」のページです。デイリーニュースオンラインは、江戸時代食文化天ぷら寿司カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る