「べらぼう」吉原遊郭での”芸者”の役割とは?裏では遊女の領域を侵し検挙される事件も【後編】 (2/8ページ)

Japaaan

二代目広重作『東都新吉原一覧』(浮世絵検索)

遊女と芸者が区別される背景にいた高級遊女

吉原芸者の誕生は、朋誠堂喜三二(尾美としのり)が記した随筆『後はむかし物語』によると、宝暦年間(1751~1764年)頃とされています。同書には、この頃には芸者も張見世に出て客を取っていたと記されており、これにより吉原芸者は、遊女の中でも三味線や唄などの芸に優れた者が、次第に芸者として独立していったと考えられます。

やがて吉原では、遊女と芸者の役割に明確な区別がつくようになります。その背景には、高級遊女である太夫などの存在がありました。

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