「べらぼう」吉原遊郭での”芸者”の役割とは?裏では遊女の領域を侵し検挙される事件も【後編】 (4/8ページ)

Japaaan

少し補足すると、「べらぼう」の時代には、実際には太夫と呼ばれる遊女は存在しておらず、そのため、呼出の花野井(小芝風花)が「瀬川」という花魁の名跡を継ぐことになったのです。なお、花魁とは遊女の身分を指す言葉ではなく、禿(かむろ)を従えて花魁道中を行うことができる高級遊女の称号でした。

花魁道中の図 Wikipedia

いずれにせよ、吉原には、太夫や呼出といった高級遊女と、春を売ることのみに従事する一般の遊女という、二つの階層が存在していたのです。

茶屋での宴を諸芸で盛り上げた芸者たち

幕府公認の吉原遊郭では、高級遊女に格式が与えられていました。そのため、茶道・華道・和歌など、諸芸に秀でていることが求められました。花野井や誰袖(福原遥)が、こともなげに西行などの和歌を口ずさむことができるのも、そのような教育を受けていたからです。

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