「べらぼう」吉原遊郭での”芸者”の役割とは?裏では遊女の領域を侵し検挙される事件も【後編】 (7/8ページ)

Japaaan

実は、吉原でも芸者が誕生して10年ほど経っても、まだ身体を売る芸者が存在していたのです。

遊郭というある意味洗練された場所で芸を披露する吉原芸者は、客扱いが上手かったことから人気を呼び、遊女の営業を脅かすほどの存在になっていたという説もあります。

そのため、芸事に秀でた芸者には芸に専念させ、色を売ることからから手を引かせるという取り組みが廓を挙げて、大々的に行われていたのです。

西村屋出版の礒田湖龍斎筆「青楼俄」( 国立文化財機構所蔵品統合検索)

そして、1779(安永8)年に、「見番(けんばん)」制度が設けられます。

この制度は、芸者人別帳をつくり芸者を登録させます。登録した芸者だけが茶屋へ派遣することができ、これにより芸者と客との情事を禁じ、さらに芸者が勝手に廓から外に出ないように監視したのです。

また、芸者か遊女か一目で分かるように、服装や髪形に関するルールも決められました。

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