大河『べらぼう』苦しむ歌麿の呪縛を解いた、現代のクリエーターの魂を揺さぶる鳥山石燕の言葉【後編】 (6/7ページ)
私も、前回登場した、北尾政演(古川雄大)の家のように、書き損じの紙、資料、本などが乱雑に積み重なった“いかにも絵師というような家”を想像していました。
ところが、部屋の棚には観葉植物が入った器や焼き物の花器が置かれ、軒先にも器に植物が入ったオブジェがぶら下がり、さりげなく琵琶らしき楽器が立てかけられ(妖怪琵琶牧々を描く時に使った?)、まるでちょっとおしゃれな古民家カフェのような佇まいなのも印象的でした。なかなかの風流人でセンスのある人なのだなと思いました。
石燕に弟子入りした後は憑き物が落ちたように穏やかな表情になった歌麿。
“俺も本当にそんな目(三つ目)持ってるんですか?”と問う歌麿に“多分持ってんじゃねえかな。待ってりゃそのうち何か見えてくるさ”と、のんきに答える石燕のやりとりも微笑ましかったですね。
「それくらいでちょうどいいのさ」と、言いつつ、妖怪ぬっぺふほふを描く石燕。そんな適当な師匠に笑みをもらしながら、呪縛から解き放たれた歌麿は、庭先に屈んで牡丹のを写生し始めます。
その牡丹は「歌麿」というという名前なのだとか。実際に調べてみると、確かに「歌麿」という品種のきれいなピンクの牡丹が販売されていました。
自分が描きたいものを描く、そんな想いで向き合ったのが自分の名前と同じ歌麿というピンクの美しい花だった……すごいこだわりの演出です。