『べらぼう』ふく・とよ坊の救いなき最期、家治は毒を盛られ力尽き…無情すぎる絶望回に反響 (2/8ページ)

Japaaan

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

天明6年(1786年) 7月12日 風雨が激しくなる 7月16日 両国橋・永代橋を押し流す 7月23日 水害がようやく鎮まる
⇒貸金会所令が撤回
⇒印旛沼の干拓が中止 8月25日 徳川家治が死去(50歳)

※同日? ふく母子が押し込み強盗に殺される

(8月27日 田沼意次が老中を辞する)

今回は天明6年(1786年)7月半ば~家治死去までの約1ヶ月余りが描かれました。心を痛める場面の連続で、あっという間に45分が過ぎてしまった印象です。

余談ながら、蔦重とおていさん(橋本愛)のやりとりに遠慮が和らぎ、夫婦らしくなってきたのではないでしょうか。ちょっと出て来た喜多川歌麿(染谷将太)がまだ少し嫉妬の色を残しているものの、今回は割愛します。

『徳川実紀』に見る天明の洪水

江戸市中の復興に奔走する長谷川平蔵。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

利根川の堤防を決壊させた大水が江戸市中へ流れ込み、人々の暮らしを壊滅状態に追い込んだ天明の大洪水。その様子が江戸幕府の公式記録『徳川実紀』に残されていました。

少し長いですが、被害の凄まじさを実感できるかと思います。

……この月十二日よりわけて雨風はげしく。昨日の夕よりにはか(俄か)に川々の水みなぎり来りて。両国。永代をはじめ橋梁ををしながし(押し流し)。青山。牛込などいへる高燥の地さへも山水出で。屋舎をやぶるに至りければ。わけて本所。下谷。関口。小日向など卑湿の地。大厦(たいか。大家)は軒をひたし。矮舎(わいしゃ。小家)は屋背にもこへ。日数へて水たゝへ。平地は一丈(約3m)にもこえしかば。農商はさらなり。朝参の輩も水にさゝへられ往来もたゆるほどなり。

「『べらぼう』ふく・とよ坊の救いなき最期、家治は毒を盛られ力尽き…無情すぎる絶望回に反響」のページです。デイリーニュースオンラインは、醍醐天明の洪水一橋治済知保の方徳川家治カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る