『べらぼう』ふく・とよ坊の救いなき最期、家治は毒を盛られ力尽き…無情すぎる絶望回に反響 (3/8ページ)

Japaaan

むかしより府内にかかる水患いまだ聞もおよばぬこととて。人々うれひなげきけり。まして郊墹の外は堤上も七八尺(約2.1~2.4m)。田圃は一丈四五尺(約4.2~4.5m)ばかりも水みち。竪川。逆井。葛西。松戸。利根川のあたり。草加。越谷。粕壁。栗橋の宿駅までも、たゞ海のごとく。淼々(びょうびょう)としてわかず(分かず)。

岡は没して洲となり。瀬は変じて淵となりぬ。この災にかゝりて屋舎。衣食。財用をうしなひ。親子兄弟ひきわかれて。たゞ神社仏宇などの少しもたかき所をもとめからき命をたすかり。中には溺れ死せしも数志れずと聞えければ。ふかくうれひさせ給ひ。

それゞゝの奉行。代官に命ぜられ。官船を出してすくはせられ。両国橋。馬喰町には数椽(すうてん。数軒)の舎をつくり飢民をやどし食をたまはる。

すべて慶長のむかし府を開かれしより後。関東の国々水害かうぶることありし中にも。これまでは寛保二年(1742年)をもて大水と称せしが。こたびはなほそれにも十倍せりといへり。

ことし春のほどより空中にあやしき物音することありしかば。天にて楽を奏すなりと人々いひあへり。また古にいはゆる鼓妖といふものなるべしとて。をそれしものもありけるが。かゝる希有の災害ある先徴にやありけんと申しける。

※『浚明院殿御実紀』巻五十五・天明六年七月「府内水患」天明6年(1786年)7月16日条

あちこちで水深2~4mを超える浸水被害をもたらした水害の一因として、3年前の天明大噴火がありました。火砕流や土砂が利根川の底にたまって水量を押し上げ、それが大水害をもたらしたのです。

またこの年の春ごろから怪異現象があり、空からあやしい物音がしたとか。これを古くから鼓妖(こよう)と呼び、天が世を戒めるために響かせたと言います。

これは田沼政権に対する怒りなのか、それとも……。

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