卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳の謎――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳を検証【前編】 (4/6ページ)

Japaaan

纏向古墳群に築かれた6基の古墳のうち、「箸墓古墳」は最終段階にあたる古墳と考えられており、それ以前の古墳群とは明らかに一線を画しています。すなわち「箸墓」には、その後に築かれていく前方後円墳に共通する、新たな重要な要素が導入されたのです。

その代表的なものが、墳丘を取り巻く周濠(しゅうごう)、そして数段にわたる墳丘を全面的に覆った葺石(ふきいし)でした。白く輝く葺石に覆われた墳丘は、見る者に神聖さを強く印象づけたことでしょう。なお、纏向古墳群の中で「箸墓」以外に葺石が確認されているのは、現時点では「ホケノ山古墳」のみとされています。

葺石を使用した「ホケノ山古墳」(撮影:高野晃彰)

こうしたことから、「箸墓」は纏向に存在した政治権力の枠内にありながら、その権威性において他の古墳を大きく凌駕していたと考えられます。この卓越した性格こそが、同古墳をして後の前方後円墳、さらには大王墓の原型と評価させる所以なのです。

箸墓古墳の規模と出土した遺物

それではここからは「箸墓古墳」の規模と構造についてさらに詳しく紹介しましょう。

全長は約280メートル後円部は5段築成で、直径155メートル高さ29メートル

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