卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳の謎――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳を検証【前編】 (3/6ページ)
これらの築造年代は、まさに邪馬台国が栄えた時代と重なり、同時にヤマト政権誕生の時期とも一致します。したがって、これらの古墳は初期ヤマト政権の母体となった邪馬台国連合の首長層の王墓であった可能性が極めて高く、その中のいずれかが卑弥呼の墓である可能性も否定できません。
とりわけ注目されるのが、纏向古墳群の盟主墓と目される「箸墓古墳」です。その被葬者については、戦前に古代史家・考古学者の笠井新也氏が卑弥呼の墓であるとの説を提唱していました。この主張は当時、突飛なものとして扱われましたが、近年は邪馬台国畿内説の高まりとともに「箸墓」から新たな発見が相次ぎ、再び議論の的となっています。
そして現在では、著名な考古学者の白石太一郎氏をはじめとする研究者が、「箸墓古墳」の被葬者は卑弥呼である可能性が高いとする見解を示しています。
果たして「箸墓古墳」の主は卑弥呼なのか、それとも卑弥呼の後を継いだ二代女王・台与(とよ)なのか、あるいはヤマト政権の最初の王なのか――ここから検証してまいりましょう。
従来の古墳とは一線を画する箸墓古墳(纏向型との違い)纏向遺跡の北部に位置する「箸墓古墳」は、全長約280メートルを誇る「箸墓型(はしはかがた)前方後円墳」です。