卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳の謎――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳を検証【前編】 (1/6ページ)
日本古代史における最大の謎の一つが、邪馬台国がどこに存在していたのかという問題です。しかし、この所在地をめぐる論争は江戸時代から続いていますが、いまだ確定には至っていません。
しかし近年、奈良県桜井市北部の巨大遺跡である纏向(まきむく)遺跡の発掘成果により、考古学の立場からは「邪馬台国の中心地は纏向である」とする見解が有力となりつつあります。
そこで本稿では邪馬台国畿内(纏向)説として、初代女王卑弥呼と二代女王台与、および邪馬台国が畿内であるならば必然的に繋がるヤマト政権の始祖王・崇神天皇(大王)の古墳を探っていきたいと思います。
卑弥呼の没年齢は90歳?驚くべき長寿
邪馬台国の初代女王・卑弥呼が死去したのは、西暦248年頃とされています。
『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼が女王に即位した際には「すでに年、長大」とあり、このときすでに成人に達していたことがわかります。
当時は10代前半でも成人と見なされたため、即位時点で卑弥呼は少なくとも十代ではなかったと考えられます。