卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳の謎――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳を検証【前編】 (2/6ページ)

Japaaan

神埼駅北口駅前広場にある卑弥呼像

では、248年に亡くなった時の年齢はいくつだったのでしょうか。その答えを導く手がかりとなるのが、卑弥呼の在位期間です。そして、その一つのヒントが『三国史記』新羅本紀に見えます。

そこには「西暦173年、卑弥呼が新羅に使者を送った」との記事があり、仮にそのとき彼女が15歳前後であったとすれば、没年は90歳前後となる計算です。

弥生時代の平均寿命は20代半ばとされますので、卑弥呼は非常に長寿であった可能性が高いといえるでしょう。もし将来、卑弥呼の墳墓と考えられる古墳から人骨が発見されることがあれば、その年齢推定は卑弥呼研究における重要なポイントとなるはずです。

纏向遺跡は初期ヤマト政権の母体だった

邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向遺跡には、西暦200~300年頃に築造されたと考えられる6基の古墳「纏向石塚古墳」「纏向矢塚古墳」「ホケノ山古墳」「纏向勝山古墳」「東田大塚(ひがいだおおつか)古墳」「箸墓(はしはか)古墳」が存在します。

「卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳の謎――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳を検証【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、崇神天皇台与箸墓古墳古代日本倭国カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る