江戸文学『東海道中膝栗毛』実は男同士の駆け落ちもの?タイトルの意味や内容をわかりやすく紹介 (2/5ページ)

Japaaan

享和2年(1802年)から文政5年(1822年)の20年間にかけてロングセラーを誇ったシリーズは、村田屋次郎兵衛や西村屋与八、森屋治兵衛といった名だたる本屋たちの手で世に送り出されたのです。

弥次&喜多コンビのプロフィール

『東海道中膝栗毛 発端』より、弥次郎兵衛(右)と喜多八。

弥次郎兵衛(やじろべゑ)

屋号は栃面屋。江戸を出発する時点で50歳(満49歳)という設定です。

元は駿河国府中(静岡県静岡市)の裕福な商家でしたが、放蕩が過ぎて借金がかさみ、江戸へ夜逃げしてきたのでした。

借金は 富士の山ほど ある故に
そこで夜逃を 駿河者(するがもの)かな

【歌意】富士山ほどの借金をこさえてしまい、夜逃げをすることになった者だよ、私は。

そんな弥次郎兵衛の性格は下品で軽々しく、作者によれば「のらくら者」「ただのおやじ」などと散々です。

ただし「身を食う芸が身を助く」とはよく言ったもので、楽器の演奏に巧みであったり、高い学識や教養を発揮したりする場面もありました。

喜多八(きたはち。北八とも)

弥次郎兵衛の元に転がり込んだ居候。

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