悲劇のヒーロー楠木正成、盟友・足利尊氏との宿命の戦いで散った忠臣の最期と“伝説化”の道【後編】 (4/7ページ)
正成、愛する息子に未来を託す…桜井の別れ
正成は、湊川に行く途中で桜井の駅(大阪府)に立ち寄り、長男の正行(まさつら)を呼んで彼を故郷に逃がします。正行はそれを拒否し、「僕も父上のお供がしたいです」と訴えるのですが、正成は彼を諭しました。
「お前の顔を見るのも今日で最後…足利殿は確実に天下人となるだろうが、お前は忠誠心を忘れずに朝廷をお守りするのじゃ。一族郎党を一人でも生き残らせて、いつの日か朝廷の敵を倒しておくれ」
そう言うと、正成は後醍醐天皇から頂いた菊水の紋を入れた短刀を授けて楠木家の未来を託し、最愛の息子と涙ながらに別れたのでした。
5月24日、正成は湊川に到着して義貞と合流します。連戦連敗の義貞は尊氏にはどうしても勝てず、苦悩していました。義貞嫌いのイメージが強い正成ですが、追い込まれて憔悴しきった義貞を慰めて酒を酌み交わします。その義貞と楽しんだ酒盛りこそ、正成にとって最後の晩餐となったのでした。
激戦、湊川の戦い!されど、正成の天命は尽きていった…
翌朝、5月25日の辰刻(午前8時)に九州から多くの武士に守られた尊氏の船団が湊川に到着します。義貞は三方向が海に面する和田岬に、正成は湊川西部の会下山に布陣しました。双方が矢を射かけ、刃を交えた大乱闘に発展しますが、義貞がミスを犯します。
「先頭で東に上陸しようとしている船にこそ、尊氏がいるのでは?」
しかしそれは足利軍の妙計であり、尊氏は後方の船にいたのです。