悲劇のヒーロー楠木正成、盟友・足利尊氏との宿命の戦いで散った忠臣の最期と“伝説化”の道【後編】 (1/7ページ)

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悲劇のヒーロー楠木正成、盟友・足利尊氏との宿命の戦いで散った忠臣の最期と“伝説化”の道【後編】

【前編】の記事では、得意の戦法で鎌倉幕府を倒し、“日本をせんたく”した楠木正成の活躍について紹介しました。

悪党から天皇の忠臣へ――武将・楠木正成が貫いた忠義と美学、そして悲劇の最期…【前編】

【後編】では、彼の身に降り掛かった悲劇の幕開けについて紹介します。

新政が天下に混乱をもたらし、ついに盟友尊氏が離反!

後醍醐天皇と朝廷の貴族を中心とした建武の新政は、天下を正すべく行われましたが、功績の無い貴族層による利権の独占が目立つようになり、割を食った武士達は不満を抱きます。武士の土地と言うのは生活基盤だけでなく、戦の功績など名誉ある褒美として賜ることもあったので、彼らが面目を潰されたと考えたのは、想像に難くありません。

そうした武士達が頼ったのは、後醍醐天皇が“功績第一”として褒め称えて高い官位と自分の名前から一字を与えて“尊氏”と改名させた足利高氏でした。高氏あらため尊氏は、正成と共に鎌倉幕府を討った仲間でもあり、建武2年(1335年)に北条氏の残党を討つために鎌倉へ行っていました。

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