『べらぼう』大河史に残る、春町”泣き笑いの死”。史実をもとに実際の生涯や「辞世の句」を解説 (4/9ページ)

Japaaan

その本名は倉橋格(くらはし いたる)、延享元年(1744年)に誕生しました。

右筆や側用人を務めるなど有能な人物で、藩政に参与するようになります。

いっぽう真面目ばかりでなく狂歌や戯作にも才能を発揮。恋川春町の筆名で数々の黄表紙を手がけ、酒上不埒の狂名で狂歌の一派(弟子に鹿津部真顔など)を立てるほどでした。

また鳥山石燕(片岡鶴太郎)に浮世絵を学び、勝川春章(前野朋哉)にも私淑。また劇中でも度々描かれるとおり、朋誠堂喜三ニとはコラボするほど仲良しです。

※余談ながら、春町の再婚相手は喜三ニに紹介してもらったとか。

しかし寛政元年(1789年)に出版された『鸚鵡返文武二道』が絶版処分になり、問責のため幕府から出頭を命じられます。

春町は病のためとして出頭せず、同年4月24日に隠居。家督を子の倉橋敬忠(たかただ。当時9歳)に譲りました。

そして同年7月7日に急死。享年46歳、死因については不明で、本当に病気だったのか、あるいは自害したという説もあります(大河ドラマではこの説を採用)。

法名は寂静院廓譽湛水居士(廓譽って……実はお好きだったのでしょうか)、大河紀行でも紹介された成覚寺(東京都新宿区)に眠っているので、今度お詣りしたいですね。

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こじらせ陰キャな春町のよき理解者として筆を振るってきたものの、今回の一件で江戸から国許へ戻されてしまう朋誠堂喜三ニ。送別会のエピソードは創作ですが、みんなから愛されていたのがよく分かります。

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