『べらぼう』大河史に残る、春町”泣き笑いの死”。史実をもとに実際の生涯や「辞世の句」を解説 (5/9ページ)

Japaaan

彼の本名は平沢常富(ひらさわ つねまさ/つねとみ)、享保20年(1735年)閏3月21日に江戸で誕生しました。

佐竹藩の江戸家老として藩邸を切り盛りする一方、若いころから吉原通いが大好き。自称「宝暦の色男」として浮名を流します。

天明の狂歌ブームでは手柄岡持(てがらの おかもち)、劇中では道陀楼麻阿(どうだろう まあ)の筆名から「まあさん」と呼ばれていました。ほか金錦佐恵流(きんきん さえる)なんてのも……。

例の『文武二道万石通』は一度見逃されているものの、春町先生の『鸚鵡返文武二道』が定信の逆鱗に触れた巻き添えで絶版処分に。藩主・佐竹義和(よしまさ。二宮慶多)から叱責され、黄表紙からは引退してしまいます。

「まぁ、遊びってのは、誰かを泣かせてまでやるこっちゃないしなぁ……」

その後はもっぱら狂歌を詠むにとどめ、文化10年(1813年)5月20日に79歳で世を去ったのでした。

法名は法性院月成日明居士。一条院(東京都江東区)に墓所があります。

唐来参和『天下一面鏡梅鉢』とは 【べらぼう】寛政の改革で絶版処分に!唐来参和(山口森広)作『天下一面鏡梅鉢』とはどんな作品だった?

今回はほとんど言及されていませんでしたが、唐来参和(山口森広)の手がけた『天下一面鏡梅鉢』とはどんな作品だったのでしょうか。

もちろん絶版処分を受けるくらいですから、松平定信の御政道を皮肉る内容であることは言うまでもありません。

すごくざっくり言えば「世の中何もかもが思い通りに上手く行って、あまりのめでたさに麒麟も鳳凰もやって来たよ」という、実にシュールと言うか皮肉なストーリーです。

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