『べらぼう』大河史に残る、春町”泣き笑いの死”。史実をもとに実際の生涯や「辞世の句」を解説 (7/9ページ)

Japaaan

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK

一度は逃げようとも思ったが、仲間たちに迷惑をかけるのは忍びない……そんな思いから切腹した春町先生。しかし恩着せがましく思われるのも忍びなくて、破り捨てた遺書には辞世が詠まれていました。

我もまた 身はなきものと おもひしが
今はの際は さびしかり鳬(けり)

【歌意】私の人生も、他人と同じく身のない(しょうもない。惜しむほどのものではない)ものと思っていた。しかしいざ死ぬとなると、この世に未練を覚えて寂しく感じるものだ。

【真意】私は無実(実のない)と思っていますが、事ここに至って覚悟を決めた。とは言え、独りで死ぬのは寂しいものだ。

鳬(けり)とは鴨(カモ)や千鳥(チドリ)の別称で、鸚鵡(おうむ。転じて『鸚鵡返文武二道』騒動)の「けり(※)」を「かも」でつけたのでした。

(※)けり、とは古文で過去形や感嘆を示す接尾語で、現代でも「けりをつける(過去のことにする≒終わらせる)」などと言いますね。

本を書いたくらいで、なぜ腹を切るまでに追い詰められねばならなかったのか……そんなやるせなさから、唐来参和が勝手に辞世をアレンジしてしまいました。

我もまだ 実は出ぬものと おもひしが
今はおかはが 恋しかり鳬(けり)

【歌意】私もまだ「腹具合は大丈夫」だと思っていたのですが、今は御川(厠=お手洗い)が恋しくてしょうがない!

きっと変なものを食って、お腹を壊してしまったのでしょうね。本当にしょーもない……でも、笑わずにはいられませんでした。

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