『べらぼう』寛政の改革は失敗? 松平定信と祖父・徳川吉宗の改革を徹底比較[中編] (4/6ページ)

Japaaan

松平定信

寛政の改革の柱は「風紀の取り締まり」「緊縮財政」であった。特に風紀を乱すと見なされたものには厳しい規制が加えられ、庶民が楽しんでいた娯楽の多くが禁じられた。歌舞伎などの演劇や、黄表紙・狂歌といった文芸もその対象とされたのである。

このあまりにも厳しすぎる取り締まりによって、「チーム蔦重」にも大きな犠牲が生じた。朋誠堂喜三二(尾身としのり)は筆を折り恋川春町(岡山天音)は自害。さらに山東京伝(古川雄大)は手鎖50日の刑に処され、蔦重も身上半減により財産の半分を没収されたのである。

贅沢な衣服や装飾品だけでなく、娯楽や文化までも奪われたことで庶民の不満は高まり町の活気は失われた。その結果、田沼時代に活況を呈していた経済は、停滞することとなったのだ。

幕府財政を緊縮するため大奥にメスを入れる

吉宗と定信が打ち出した質素倹約策の中で、やり玉に挙げられたのが「大奥」である。

吉宗は、大奥の大規模なリストラを断行した。

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