『べらぼう』寛政の改革は失敗? 松平定信と祖父・徳川吉宗の改革を徹底比較[中編] (5/6ページ)

Japaaan

大奥とは、江戸城内における将軍の私生活の場であり、その始まりは三代将軍家光の乳母・春日局が、世継ぎ誕生を願って側室候補の女性たちを江戸城に集めて住まわせたことに由来するとされる。

春日局

大奥はその後、役割やしきたりが時代とともに変化していったが、吉宗が江戸城に入った頃には、幕府財政の約25%を浪費する存在となっていた。

当時、大奥には将軍の側近くに仕える女中から下働きの女性まで、約4,000人が在籍していたが、吉宗は段階的にリストラを進め、最終的には約1,300人にまで削減している。

この際の有名な逸話として、リストラの対象は若く美しい者からとされたというものがある。そうした女性ならば、大奥を去っても嫁ぎ先や働き口が見つかりやすいだろうという、吉宗なりの配慮であったと伝えられている。

ともあれ吉宗は、大奥の人員を減らすことにより、その人件費を抑え、予算削減を実現させたのである。

一方、定信も吉宗に倣い、大奥の贅沢さに目を付けた。

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