『べらぼう』寛政の改革は失敗? 松平定信と祖父・徳川吉宗の改革を徹底比較[中編] (3/6ページ)

Japaaan

徳川吉宗騎馬像

もともと合理主義者であった吉宗は、不要と考えるものは次々に廃止し、必要ではあるが贅沢とみなされるものは質素な代替品に切り替えていったのである。

こうした方針において、吉宗はまず自らの生活を改めることで、人々に模範を示した。彼は衣服を絹から木綿に改め、食事も1日3食から2食とし、その内容も一汁三菜という、将軍としては考えられないほど質素なものにしたのである。

そして自ら率先して質素な生活を送り、大名や旗本にもそれを奨励した。その中には儀礼の簡素化も含まれており、前将軍の葬儀についても経費を切り詰めたとされる。

一方、松平定信の「寛政の改革」はどうだっただろうか。田沼政治を引き継いだ当時の日本では、長期間にわたる冷害や火山の噴火、豪雨などの自然災害が相次いだ。その影響で農作物の不作が続き、多くの餓死者を出すなど、社会は非常に不安定な状況に陥っていた。

さらに、大坂や江戸などの都市部では打ちこわしが頻発したため、定信は治安の回復を最優先課題とした。同時に、身分や立場を問わず極端な質素倹約を強行したのである。

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