呪詛など効かぬ!占いを嘲笑い合理で勝つ――戦国最初の合理主義者・朝倉孝景の智将ぶりが凄まじい (1/4ページ)
戦国時代といえば、占いで戦の日を決めたり、凶兆を恐れたりと、迷信が政治や戦の判断を左右する時代でした。しかし、その常識を軽やかに踏み越えた男がいます。
越前(今の福井県)を治めた戦国大名、朝倉孝景。彼は「運」ではなく「分析」で戦い、呪われても平然と構えた戦国最初の合理主義者でした。
そんな彼の生涯をたどると、まるで現代の“ロジカル・リーダー”のような姿が浮かび上がります。
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朝倉孝景が生まれたのは1428年。世の中は足利将軍家の権威が衰え、地方の武士たちが力を競い始めた混乱の時代でした。朝倉家はもともと越前の名門・斯波氏の家臣で、長い間この地を守ってきた一族です。
ところが、父が早くに亡くなり、幼い孝景は祖父・教景に育てられます。
