大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長(仲野太賀)が「天下一の補佐役」と称されていた理由【前編】 (6/9ページ)

Japaaan

和歌山城 大天守(Wikipedia)

1585年(天正13年)には、豊臣軍の副将格として紀州を制圧し、この功により64万石を与えられて和歌山城を築城。同年の四国攻めでは総大将を務め、長宗我部元親を降伏させました。その後、紀伊国・和泉国に加えて大和国を加増され、合計100万石を領する大大名として郡山城に入城。さらに従二位大納言に叙任され、「大和大納言・豊臣秀長」と称されるようになります。

秀長は秀吉が心から信頼を寄せた存在だった

大和大納言に任ぜられた頃から、秀長は豊臣軍の軍事司令官としての役割に加え、天下統一を推し進める豊臣秀吉の実弟ならではの重要な立場を担うようになりました。

しかし、10年以上にわたり各地を転戦してきた疲労が蓄積したのか、1586年(天正14年)になると秀長は体調を崩すことが増えていきます。

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