大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長(仲野太賀)が「天下一の補佐役」と称されていた理由【前編】 (8/9ページ)

Japaaan

旭(朝日)姫像・南明院蔵(Wikipedia)

また島津氏と対立していた大友宗麟が秀吉に助けを求めて上洛した際、秀長は今後も豊臣家が大友氏を救済することを約束しています。

この時、秀吉は、「内々の儀は宗易(千利休)、外様の事は宰相(秀長)存じ候」と有名な言葉を述べました。つまり、公的なことは秀長が握っていると公言していたのです。

このように、秀長が豊臣政権に果たした役割は大変大きいものがありました。しかし、1590年(天正18年)の初め頃から病が悪化し、秀吉が天下統一を果たす小田原征伐には参加できず、畿内の留守居を務めます。

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