【豊臣兄弟!】天下人を支えた“最強の母”!秀吉・秀長を女手一つで育てた母・仲(坂井真紀)の生涯 (5/6ページ)

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しかし秀長は兄の天下統一を見届けるや、天正19年(1591年)に先だってしまい、仲自身も病が重くなっていきます。

天正20年(1592年。文禄元年)に朝鮮出兵(文禄の役)が始まり、秀吉が前線基地である名護屋城へ移ると、仲は京都・聚楽第で療養するようになりました。

7月に入って仲の病状はいよいよ悪化し、それまで秀吉を気落ちさせまいと報告を躊躇っていた関白の豊臣秀次(長女ともの子で秀吉の甥)が、ついに危篤を報告します。

報告を聞いた秀吉は居ても立ってもいられず、慌てて名護屋城から帰還するも、死に目には間に合いませんでした。

天正20年(1592年)7月22日、仲は77歳で世を去ったのです。母親の訃報を聞いた秀吉は悲しみのあまりその場で卒倒。気を取り直して懇ろに葬り、菩提を弔ったと言います。

秀吉を気遣った後陽成天皇(ごようぜい。第107代)は勅使を派遣し、仲に准三后(じゅさんごう)の称号を追贈しました。

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