【豊臣兄弟!】天下人を支えた“最強の母”!秀吉・秀長を女手一つで育てた母・仲(坂井真紀)の生涯 (3/6ページ)
4人姉妹の長女だったらしく、妹はそれぞれ栄松院(小出秀政室)・大恩院(青木秀以室)・松雲院(福島正則母)と言いました(いずれも実名は不詳)。
また従妹に伊都(いと。のち聖林院、加藤清正母)がおり、彼女たちは後に豊臣政権を担う者たちと深い関係を持っています。
はじめ織田家に仕えていた足軽の木下弥右衛門(きのした やゑもん)に嫁ぎ、長女のとも(日秀)と長男の秀吉を生みました。
やがて天文12年(1543年)1月2日に弥右衛門が亡くなると、こちらも織田家に仕えていた竹阿弥(ちくあみ)と再婚。こちらとは次男の秀長と次女の旭(あさひ)を生みます。
ただし近年の研究では、秀吉と秀長は共に弥右衛門の息子であると考えられているようです。
また弥右衛門と竹阿弥は同一人物(弥右衛門が出家後に竹阿弥を号した)という説もあります。
そんな木下家では、まず秀吉が家を飛び出し、それから約10年後に秀長も秀吉に誘われて家を出て行ってしまいました。
やがて仲は立身出世した秀吉に引き取られ、秀吉が近江長浜城主になると、嫁のおね(秀吉正室。北政所)らと一緒に暮らすようになります。
ちっちゃな頃から悪ガキで、心配ばかりかけていた秀吉ですが、母親に対する愛情は人一倍でした。秀吉は絶えず仲を身近におき、終生大切に扱ったそうです。