朝ドラ「ばけばけ」実際に小泉八雲と親交、恋愛関係は?江藤リヨ(北香那)のモデル・籠手田よし子の生涯 (5/6ページ)
明治34(1901)年4月、よし子は長崎県士族・近藤範治(のりはる)と結婚。29歳での結婚は当時としては異例のものでした。
結婚後、よし子は夫とともに朝鮮半島の港町・元山(ウォンサン)へ渡ります。
ふたりはそこで 源興学校 という日本語学校を設立し、現地の人びとに日本語教育を行いました。
はじめはよし子自身が小さな塾を開き、日本語を教え始めたものです.その活動が広がり、夫婦で学校として整備していったと伝わります。
運営は日韓双方の官民有志から援助を受けながらのものでした。
女性が海外で教育機関の設立・運営に直接関わるのは、当時としてはかなり珍しいケースでした。
学校の表向きの責任者は夫の範治でしたが、実際には、授業や運営の中核をよし子(近藤淑子)が担っていたと伝えられています。
夫・範治が戦地に赴いているあいだも、彼女が学校を支え続けたという証言もあり、いわば「教育者であり経営者」としての側面が浮かび上がります。
よし子が目指した教育とはどのようなものだったのか(写真は東京女子高等学校)。
源興学校事件と、その後の消息しかし、学校の運営が順風満帆だったわけではありません。
学校の評判が高まる一方で、日本政府側(現地副領事など)が運営に介入しようと画策。よし子がこれに強く反発した結果、「源興学校事件」と呼ばれる対立が生じました。