朝ドラ「ばけばけ」実際に小泉八雲と親交、恋愛関係は?江藤リヨ(北香那)のモデル・籠手田よし子の生涯 (4/6ページ)
ただ、その距離感の中で、互いに相手の文化や人柄に敬意を払っていたことが、残された記録からうかがえます。
その後もよし子はハーンとの交流を続けました。
松江の冬は、ギリシャ生まれで温暖な気候に慣れた八雲にとって過酷です。明治24(1891)年の冬、彼は「気管支カタル」と診断されて長く寝込みます。
そのとき八雲のもとに届いたのが、よし子からの見舞状と、一羽の鶯を入れた鳥かごでした。
ハーン自身も西田千太郎宛の手紙の中で、この出来事に触れています。
手紙では「珍しい形の箱に入れられた鶯が届けられたこと」と「贈り主への感謝の言葉をどう表せばよいかわからないほど感動したこと」を記述。心の交流があったことを思わせます。
ただし、恋愛感情があったかどうかについては、一次史料にはまったく証拠がないので想像に委ねるしかありません。
鳥籠に入った鶯(ウグイス)の贈り物と手紙は、ハーンの心を慰めた。
女性教育者として朝鮮半島に渡るその後のよし子については、長く断片的な情報しかありません。
明治24(1891)年、父・安定が新潟県知事に就任。明治29(1896)年には滋賀県知事を再任されます。
明治30(1897)年には安定は貴族院議員に選出されました。しかし明治32(1899)年に安定は世を去ります。
この間、おそらくはよし子も安定に付いて赴任先に随行したと考えられます。