『豊臣兄弟!』で注目の舞台──超重要、天下統一の契機「中国大返し〜山崎の合戦」の真相に迫る【前編】 (5/9ページ)
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「本能寺の変」後、豊臣秀吉が驚異的なスピードで行軍したという“中国大返し”ができた理由翌7日の早朝に沼城を発つと、一昼夜をかけて55キロメートルを進み、8日の朝には姫路城に入りました。軍勢はここで一日休息を取ったのち、9日の朝に出発。さらに一気に80キロメートルを走破し、11日の朝には尼崎城に到着したのです。
中国大返しの途中、尼崎で軍議を行う羽柴秀吉。太平記之内山崎合戦競先鋒図/歌川貞秀作
約160キロメートルをわずか5日あまりで移動するというこの行軍は、光秀にとって到底予想できるものではありませんでした。
