『豊臣兄弟!』で注目の舞台──超重要、天下統一の契機「中国大返し〜山崎の合戦」の真相に迫る【前編】 (6/9ページ)

Japaaan

いや、光秀のみならず、当時であれば誰しも驚愕したことでしょう。

この秀吉による「中国大返し」が、なぜ可能であったのかについては、古くからさまざまな説が唱えられてきました。

その一つが、重い甲冑や武具は船に積んで海路で姫路へ運び、軍勢は身軽な姿で山陽道を疾駆したという説です。

しかし近年、城郭考古学者の千田嘉博氏(奈良大学教授)は、「大返し」の途上で秀吉軍が休憩・宿泊した地点には、中国攻めにおける信長の親征を想定して、あらかじめ御座所(ござどころ)が整備され、兵糧も備蓄されていたと推測しています。

秀吉は、もともと信長のために用意していたこれらの御座所を、2万を超える将兵のために転用。これこそが、「中国大返し」を支えた大きな要因であったという見方です。

そして、この「大返し」の途中で、秀吉はさまざまな手を打っています。その一つが、畿内の諸将に対して「信長公は本能寺を脱出して無事である」という虚偽の情報を流したことでした。信長が生きているかぎり、誰も光秀に味方することはできない、という心理を突く狙いがあったのです。

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