『豊臣兄弟!』12歳で初産、秀吉の養女も…まつ(菅井友香)が産んだ前田利家(大東駿介)の8人の子供の運命 (6/8ページ)
やがて秀吉・利家が世を去った後の慶長5年(1600年)、世にいう関ヶ原の合戦で夫の秀家は西軍に与して敗れてしまいました。
秀家は薩摩国へ逃亡して島津家に匿われていましたが、慶長7年(1602年)に引き渡されて息子たちと一緒に八丈島(東京都八丈町)へ流刑となってしまいます。
宇喜多家が没落した後、しばらく寧々に仕えていましたが、思うところあって洗礼を受けました。キリシタンとしての名前はマリア、慶長12年(1607年)ごろに実家へ帰ります。
そして寛永11年(1634年)に61歳で世を去り、樹正院殿命室寿晃大禅定尼(じゅしょういんでん みょうしつじゅこう だいぜんじょうに)と戒名を贈られました。
五女・与免天正5年(1577年)生~文禄2年(1593年)没(享年17歳)
与免と書いて「よめ」ではなく「とめ」と読みます。よく「女児はもう止めにして欲しい≒そろそろ男児が欲しい」という思いから、生まれた女児にトメと名づける習慣がありますが、まつは後二人子供を生むのでした。
1歳年長の浅野幸長(あさの よしなが)と婚約していましたが、結婚前に夭折しており、これといった記録は残っていません。